初めまして!Mitsuと申します。
当ブログでは成長率世界一の東南アジア貿易で僕が社会復帰するまでの過程を解説していきます。
このページでは自己紹介と私がどのような思いでせどりを始めて、今はどんな活動をしているのかについて書きました。
自己紹介
名前:Mitsu
年齢:1997年生まれ
出身:群馬県
前職:電源開発株式会社
趣味:旅行
職を失ったあの日
地元群馬の学校を卒業して、新卒で会社に入社しました直ぐに退社して無職になりました。
残念ながら会社がブラックだったとかそういった事情は一切なく、むしろ超ホワイト企業で人間関係や給料面にも満足していました。
職歴を作るために3年は働こうと決めておりましたが、決まった時間に出社するのキツいし、旅したい意欲が強かったので、最初の半年の研修期間で、最大限に課金してもらったタイミングで退社を決意しました。
まあ同期や上司のスペックをみてたら、勝ち目がないから早々に退職した方がいいなという神のお告げもあったのは事実です。
退社後は、即バックパッカーとして世界を放浪するつもりでいましたが、同月にコロナが流行り始め、海外渡航ができない状態となり、ホームレスとなりました。
「どこに住むのか問題」が勃発しますが、昔から親族とは壊滅的に仲が悪かったので、帰る実家もなく、既にどこにだしても恥ずかしい立派な無職だったので借家も審査が通らず、友人宅に居候生活することになります。
つまり、仕事、車、家、クレジットカードも何もない22歳の爆誕した瞬間でした。
人生オワタ \(^o^)/
転売ヤーに就職した日
何もなかったとはいえ、元々が世界を旅する予定だったので現金300万円ぐらいは持っていました。
意外と多い?と思われるかもしれませんが「その300万円が生命線」です。
そうなると消去法で事業を作らないと食っていけないとなり、4秒だけ考えて「YouTubeで1発当てようぜ」となり、半年ほど続けましたが大した成果もだせずに撤退することになります。
どんなビジネスもモチベーションが高いうちに初速でぶち抜いて、絶対に訪れる停滞期を我慢して、そこを抜け出してから安定化させるというのが定石だと思いますが、僕が手を出したジャンルは規制がかかったので、初速は良かったもののやる気を失いました。
そんな訳で、再度0からのスタートですが、次に手をだしたのが”転売”です。
理由は「誰でもできる副業」でネット検索したら一番上にでてきたからです!!
強いていうならば、YouTubeみたいに動画編集やる子にパソコン買ってあげたり、編集方法を教えたりする必要がなく、犯罪歴がなくて二本足があれば誰でも稼げるという点が魅力的した。
そこから右往左往しながらも、死にそうなりながら会社を作ってなんなりして、東南アジア貿易に辿り着きました!
後発組の物販戦略
無職になった当時に居候していた先の友人を社員として向かい入れて、健康で文化的な最低限どの生活は手にできるようになってきました。
過去を振り返ってみると、二度と戻りたくない気持ちと、それ以上に楽しかった思い出が入り混じっていて複雑な気持ちです。
ただし、僕は無職でよかったなというのは、今だに本当に思っています。
今の情報社会って色んなポジショントークがあって「専業はキツい」とか色々なことが言われてますが、「もう日本でどんな商売しても厳しいから生活保護を受けよう」という絶対的に正しい僕の主張は聞き入れてもらえません。
僕は日本人全員が生活保護を受ける日がくる決心がつくように発信をやっておりますので、今後とも宜しくお願いたもう!!!
本気で【人生を変えたい】なら、あなたも【東南アジア貿易】をやってみませんか?